久々に、避寒と肩凝りほぐしを目的に台北を訪問。
ほぼ10年ぶりの台湾だったが、一番大きな変化は:
① 以前は東京の6−7割だった諸物価がほぼ同額ないしは1−2割高であったことと、
②「衣食足りて礼節を知る」ではないが、ゴミが散らかっていた街の通りがすっかり綺麗になっていたこと
であった。
日中は地下鉄、バスを併用しての街歩きをメインに、取り分けノスタルジックな戦前の建物を観て廻った。
戦前の建物といえば、一に総督府、二に台北賓館、、、等いろいろあるが、元勤務先の倉庫、ビルには大きな感慨を覚える。
先ずは、1900年に設置した倉庫。
道路整備上、近くに移転させることになったため、現存しているのは新たに復元化された新築であったが、高らかに掲げらていた「井桁三」のShipping Markにビックリ! こんなに目立ってていいのかと思うぐらい。
というのも、最初の海外店であった上海のビルは、花崗岩でできた「井桁三」が削り取られていたのとは対照的であった為に。
内部は、商社ならぬ瀟酒な喫茶店として活用されていた。
その展示資料によると、1900年にまずは倉庫兼事務所とした出発した模様。
1900年といえば、辛亥革命以前の清朝末期の頃だ。
因みにMBKの海外第1号店は1877(明治10年)の上海支店である。
更にそこに展示してあった資料(大正3年・1914年の社報)によると新たに2階建倉庫の建設を認可とある。いわゆる業務拡張による事務所と倉庫の分離である。